もう、どれくらい走っただろうか・・。 まだ先が見えないみたいで、苦しい。 息が苦しいわけでも、走って横腹が痛いわけでもないのに・・ 何なのだろうか、この焦燥感と、痛みは。 03.野を駆け 橋を渡り 目が覚めると、そこには、18の大きな瞳が、心配そうに俺の顔を覗き込む様に見つめていた。 「あ・・・皆、何してるんだ・・?」 「な・・なち!?」 自分の布団にいるのが、視界から、すぐに察することが出来た。 俺の問に対しての返事はなく、その代わりとでも言うように、余計に吃驚した顔で、まじまじと見られる。 そんなに見つめられると、こちらも妙に居心地が悪い・・。堪らずそう言おうと、開かれた口は、何も告げることなく閉じられた。 よく見ると、皆それぞれだが、とても心配そうな顔をしている。 普段なら”大丈夫か”と声をかけるところだが、その原因は自分にあると分かって、申し訳ない気持ちになったからだった。 「なち・・お前、稽古中に倒れたの、覚えてねぇのか?」 「・・・何だと?」 恐る恐る声を掛けてきた、ながらに、本気で戸惑った声を返してから、ハッとした。 人懐っこい面が多い彼だが、意外と心配性の部分が多い。 なちが何か言う前に、案の定、ながらは大声で”嘘だろー!”と叫びながら、慌てて爺を呼びに行ってしまった。 「なち・・・俺が誰か、分かるか?」 心配そうに聞いてくるあずみに、これは本当に倒れたのかもしれない・・と冷静に思いつつも。 「当たり前だろ、あずみ」 パァッと明るくなるあずみの表情につられて、なちはやんわりと笑んでみた。 「なちーっ!!!良かったぁー・・・」 「何・・だ!? わっ重ッ!!」 それが、何の合図になったのかは分からないが、周りに居た皆が、泣きついてきたのだった。 「・・・・眠くならないな」 その後、ほぼ泣きながら爺をつれて来たながらが、後で、ただの睡眠不足だったと教えられると、 そのまま安心して眠ってしまったらしく、また、他の泣き疲れた仲間達が床に就くのも、かなり早かった様だ。 爺にゆっくり寝るように、と言われたにも拘らず、今は松明の明かりも消えてしまった小屋に背を向け、 なちは、広場に仰向けに寝転がると、流れていく星を目で追いかけていた。 「今日の昼、倒れたんだって?」 突然した声に吃驚して、反射的に体が飛び起きた。 しかし、声の持ち主が、森の影から少しずつ現れると、その見慣れた姿に、 なちは、安堵の溜息を落とすと、もう一度寝転び、拗ねた口ぶりを装ってみせた。 「その様子だと・・うきはは、側に居てくれてなかったのか? 俺はてっきり、お前が泣きついてくれていると信じてたのにな」 「いや、いたさ。でも、それも分からない様では、俺は居ても居なくても一緒の存在、ってコトの様だが?」 軽く肩を竦めて見せてから、隣に腰掛けてきたうきはが、笑いながら、なちの髪を手櫛で梳く。 それには諦めた様に、片手をヒラヒラ振ると、なちは、うきはの手を捕まえて、自分の頬に宛がった。 「はは、言うようになったな・・・。最初は真っ赤になって照れてたくせに」 「なっ!!それは言うなと言ってるだろ!!・・・手はなせ。」 「どっちも嫌、だな。でも、うきはの手は、冷たくて気持ちいい・・・」 「・・・・それは、どうも。」 もう、俺の手を振り払う気力も無いのか、されるがままに、うきはは俺に右手を預けていた。 何も会話が無くても、こんなにも心地よいと感じることは、このひと時しかない、となちは一人、笑った。 「思い出し笑いか?気持ち悪いぞ」 「失礼だな、違う。」 「・・・・・なぁ、なち。」 「ん・・?何だ?」 「どんな夢を見た?」 「とても怖い夢、だった、かな」 「一つ、確かなのは・・・」 「俺が、死ぬ夢だったってこと」 「そう・・か」 うきは、手あったかい。 そう言って、なちは、やっとうきはの手を開放した。 「到達点なんて、最初から無かったのかもしれない」 「・・・何のことだ?」 「夢の中。俺は、夢の中でずっと走ってたんだよ。」 やんわりと笑んで、なちは、大きな空へと目を移した。 寝転びながら、真剣な顔で空を見上げているなちは、真剣に考え事をしている様にも、 また星を数え始めているようにも見えたが、また少し経つと、なちは、うきはに顔を向けた。 「最初はな・・」 「最初はずっと、野山が奇麗だなーと思ってたら、どんどん森の奥手に入っていってて。 ・・・でも気が付いたら、一人で。 ずっと走ってるのに、苦しくも無い、脇腹が痛くなったりもしなかった。 だけど、何も感じない、ということが一番痛かったんだよ・・。 それでも俺は、到達点を目指して、ひたすら走ってた・・・ でも、その先に見えた橋を渡った、その俺の到達点は・・・・いつも”死”だった」 それだけ一息にまくしたてると、急になちは、うきはとは反対側を向いて、 自嘲的に、”そんな夢を毎晩見るから寝れなかった”と呟いた。 「・・・・来い、なち」 「・・え?」 「早くしろ!」 ――――****** この小屋から少し離れた所に、古びた、小さな吊橋がある。 爺には”山賊がでるから夜は絶対に来るな”と言われている場所で、 しかも、最近になって、”木が腐りかけているから、この古い吊橋に近づくな”という命令まで出ている。 そんな曰く付きのこの場所に、うきはとなちが、やってきたのだった。 「うきは、こんなところに来たら、爺に怒られるぞ」 さすがのなちも、困ったように、髪を掻あげながら、溜息をついた。 全く・・・この茶色の着物の少年は、一体何を考えているのだ。 しかし、いつもなら爺に一番忠実であるうきはなのに、 今回は全く引こうともせず、いつもの冷たい瞳で、なちを睨んだ。 「なち、この橋を渡れ」 「は・・?今か・・・?」 「今だ。走ってだしな」 「・・・なん」 「文句言ったら斬るからな」 「・・・・・ここから走ればいいんだな・・?」 コクリとうきはが頷くのを確認すると、なちは、ゆっくりと走り出した。 夢の中のように、息が楽なわけが無い。 脇腹が痛くないわけでも無い。 夢のようには行くわけが無い。 全てが、夢は、ただの夢だと教えてくれるのに、何故か、この不安は募っていく。 足が、目の前の吊橋に近づくたびに、汗が噴出すみたいだ。 一人・・・だ。 「一人じゃないだろ・・」 「うきは・・!」 いきなり手に触れた、暖かな感触に、ハッとさせられた。 いつもは冷たい、暖かなうきはの手が、しっかりと自分の手を握りしめてくれている。 その優しい、自分よりも細い手を、なちは、一生懸命握り返した。 「前を見ろ、なち」 「・・・・・ぁ」 山の下に広がる、無数の、光る小さな虫。 自分の肩にも止まったそれを、”ホタル”と爺が呼んでいたのが、ふと頭によぎった。 「奇麗だな・・」 「お前の死よりは、大分な」 皮肉を込めてうきはが笑った。 今まで必死で、全く気付かなかったが、ここまで意外と距離があったらしく、 歩幅も合わないクセに、一緒に走ってくれていた彼は、額に掛かる髪を、汗でしっとりと濡らしていた。 「そうだな・・全く持って、そうだ。」 「これで、橋の先にあったものが何か、よく分かったろ」 「あぁ・・・ありがとう・・・」 一つ、また一つと、ホタルは去っていき、 一刻、また一刻と、夜は明けていった。 |