稽古中の出来事




「・・・なぁ!!うきはぁーーーっ!お前さ、俺のこと嫌いかよー!?」



「…はぁ!?」




真剣に刀を振るい、修行に走っている俺を、後ろから追いかけてくる声。


訳が分からない。



そういった表情を、少しも隠そうともせずに、すぐ側を仲間たちが走り去っていく中、うきはは、 決して道とは言えない様なそこに、大袈裟に立ちどまった。

昨日は、豪雨だったらしく、森の中の地面も、今だ水を含んでぬかるんでいて、 少しでも気を抜けば、すぐにでも泥に足をすくわれ、そのまま滑ってしまいそうな状態である。
ふと、履物の裏に付いた、感触の残る泥を確かめてから、うきはは、掛けられた声の方に振り返った。


振り返ったそこには、こちらに向かって大きく手を振っているらしい、 背丈さえ自分とはあまり変わらない影があり、大分遠く、後方に捉える。
普通ならば、あまりにも遠すぎて、その影が誰かなんて分からないはずが、すぐに目に付く橙色の着物に 毛皮、という独特なスタイルであることから、それが誰のモノなのかが何となく察したうきはは、 「はぁ・・・?」と、本日二度目の、曖昧で気怠るそうな返事を返した。














ひらり降り立ったのは、その質問の主がいる、山中に無造作に転がっている大きな石の表面のちょうど前。 そのすぐ後ろは崖になっていて、目の前を流れる水が、後ろでの大きな川に繋がっている。

突然された質問に対し、いまだ戸惑いを隠せないままのうきはが足を着いた先に居たのは、先程彼が川の前 で刀を交えたばかりの、天真爛漫、破天荒という言葉がぴったりな、ながらだった。





「きれいな川だよなぁー!」



対峙して暫く、言葉に困った様に目を下向きに泳がせていた、ながらだったが、その視線の先に小川をみつけ、 すぐ足元を流れるその川に指先を浸しながら、場を和ませる会話を切り出そうと、必死に笑みを作った。



「そう・・だな」



余りにも分かりやすい彼の行動に、不本意ながら自分からも笑みを作って乗ってやれば、 幾分か安心しらしく、彼は、小さい安堵の溜息をついた。
しかし、意外にも、溜息の後の彼の表情は、いまだに曇っていて、うきははまた、 無理に作った笑みを一転、怪訝そうな表情に変えざるを得なくなってしまった。



「で、さ・・・。あー、聞きづらいんだけど、うきは、俺のこと嫌いなのか・・?」



「・・・・・は?」



「は・・?じゃなくてさ・・・2択なんだからこの際はっきり言ってくれよー・・」



「い、や・・・ちょ、お前何言ってるんだ・・・いきなり。それも・・・修行中に」


いくら俺じゃなくても、いきなりそんな事を言われたら、普通は聞き返す・・よな




目を白黒させて、呟く様にうきはは言葉を紡いだが、決して軽いとはいえない刀を持って走りっぱなし だった所為で、大きく上がった息が、呂律をはっきりしないものにしてしまい、言葉を 紡いだ本人が苛つきを隠せない様子だった。
また、修行をサボっているという今の現状については、きちんと筋を通して置かないといけないと思ったらしく、 彼は説教の為に、彼らのいる不安定な岩上に立ち、互いに向かいあう体勢をとることにした。



「おい、ながら・・・修行を故意にサボるんじゃないぞ。それに・・!!」


ながらの鼻先で突然ぎゅっという音が聞こえた気がした。


「何が言いたいんだ、お前は・・」



「ぅぉっ!?だーっ、やめっ・・・!!」



荒い息を整え、幾分落ち着いてきたうきはは、終いに語尾の方に怒気さえ含んだ声で、ながらの鼻先を指先で摘んだ様だ。
逆にながらは、バツが悪そうに、摘まれて赤くなった鼻を擦り、喚くように大声で叫んだ。



「だからー!俺のこと嫌いか、それとも・・・その、好きか聞いてるんだよっ」



最初の勢いはどこへやら。尻すぼみになった声でしどろもどろ言うながらに、 余計戸惑った様な、呆れた様な表情をうきはは向けた。



「・・・何で、お前がそんなことを気にしてんだ」



「え?」



一瞬ながらは、何故だか分からないが、うきはが俯いた所為か、キッと睨まれた気がした。



「・・お前は、俺をどう思ってる?」



「・・・えっ!や、そりゃ、すっげぇ好き・・・とか、思ってっけど」




予想していなかった質問に、つい正直に答える。
はにかんで言った俺に、



「俺は、嫌いだ。」



冷たい目で、うきはが呟いた。




「これ以上、もう聞くなよ」













思えば、始まりは、ひゅうがの適当な一言からだった。

ながらが、ひゅうがとじゃれ合って遊んでいた、ついさっきのこと。
たまたま通りがかったうきはを見つけ、嬉しそうに走っていこうとしたながらだったのだが、 それが面白くなかったひゅうがが漏らした皮肉の一言に、ピタリと動きを止められてしまったのだった。

それが、この一言。



「ながらはうきはのこと好きでも、うきはは分かんないんじゃねぇのー?」



「そ・・そんな事ねぇよ!!」

そう言って、そのときは力一杯否定していたながらだったが、 流石に相手がうきはなので、確信が持てるわけでもなく、今に至るというわけだ。










ふ、とながらは現実に引戻された。
聞くな、といわれたことも忘れ、高く髪を結った少年は、慌てて、去ろうとしている彼の裾を掴む。



「ちょ、待てって、うきはっ!」



「・・・っは!? ちょ・・・おいっ!!」



ズルリ、とうきはの足が滑る音が聞こえたような気がした。
先ほどの泥が、滑ったらしい。



「ぁ、ぅゎっ・・・!」



「って・・・危ねぇ、うきは!」




ながらが必死に、傾いたうきはの手首を掴んだのだが、数秒の間もなしにグラリ、と二人の視界が揺れた。
二人とも一瞬何が起こったのか分からないままなのに、体が重力に反して、落ちているのだけを感じる。
そして頭の先には広がる川。




「へ・・?わっ・・・うわあぁぁぁぁ!!!!」



冷静に考えて、ながらが裾を引っ張ったことにより重心が傾き、その所為で、昨夜の雨で滑りやすくなっていた岩場から、 足を踏み外してしまったのだろう。 とりあえず、自分の足裏の泥が乾いてたのは、絶対に俺の所為じゃないな、とだけ、うきははぼんやり考えながら、 その直後にはバシャーン!と派手な音が鳴ったのを、その現場で直に聞いたのだった。


































「冷てぇー!!」



「当たり前だ、川なんだからな」



「いや・・・まぁ、うん」



うきはの怒気の含まれた声に、ながらはつい身を縮ませる。
怒った彼は、あり得ないほど恐ろしいのだ。



「・・・何見てるんだよ、全く」



ぼんやりと、ながらが、自分同様にびしょ濡れになったうきはを見つめていると、 水を吸って重くなった、いつも彼が首にまいている布を、顔面に向けて、思い切り投げつけられた。



「ぶゎっ!・・いいだろ別に、見るくらい」


表情には見せないが大分不機嫌なのだろう。



「ほーぅ・・・?」



怒りを隠そうともしない冷たい声が、ながらに掛かる。
だが、それに怯む様子も見せずに、突然ながらは、一瞬のことで驚くうきはの両肩を掴み、抱き締めた。



「お前は嫌いでも・・・俺、やっぱ、お前のこと好きみてーだ・・・」



「・・・ながら」






ながらが、彼を抱きしめたことで、ばしゃり、と水面が跳ねた。
うきはが抵抗するわけでなく、ながらが更に何かをするわけでもなく。ただ、時間だけが過ぎている。
























「・・・俺は、俺が嫌いだ。きっと俺は裏切るさ、皆を。・・・使命と託けてな!」



ふいにながらを押し返すように離れ、揺れる水面に、うきはの叫ぶような声が木霊した。



「そのまま最後は、皆に恨まれる側だ!分かってる・・・そんな人間を好きになるヤツの気が知れない!」



突然の、彼が初めて見せた”弱さ”だった。
言葉少なな彼が、尚も吐き出すように続ける言葉に、ながらは思いっきり顔を顰めたまま聞いていたが、俯いた彼に 「お前は、俺らを裏切らねぇよ」とだけ、力強い声で、水面越しに言った。



「―――・・・っ何故そんな簡単に言い切れるんだよ」



「うん、お前が俺らのこと、好きだから」



水面越しに映った、自分と、彼の顔に、ドキリとする。
適当にはぐらかされているだけだと思っていたながらの視線は、しっかりと、真剣な科白で自分の瞳を追っていた。


「ちげーのかよ・・?」



「す・・きさ」

可笑しいな。お前には嘘がつけない。



「だろ?・・そんなヤツを、俺らが嫌うわけねぇじゃん。だから、俺はお前が好きだ。

ほかのヤツにはやりたくねーんだ」



あまりに真剣な科白。
あまりに真剣な彼の表情。
そして、ワザとおどけた、熱っぽい告白。
全てがながららしくて、だんだんと笑いがこみ上げてくる。



「・・・っく、はは・・・俺も人には言えないかもしれないが、バカだな、お前は」



「・・!? 俺は、んなことねーって!!」




今までで初めて、大声で笑えた気がした。

”使命と仲間が天秤に掛けられても、俺は使命を優先する”。それは、自分自身が勝手に決めた、使命だった。
それなのに、その過酷な使命の重みで、いつも潰されそうになっている自分。
時折、逃げたくなって、優しさが恋しくて、求めてしまう。
そんなときに与えてくれたのは、お前だな。


それでも、すまない。やっぱり俺は、お前を裏切るよ。
使命のために・・
勝手だけど、お前のために・・。

でも今だけは―――――――――































ゆらの、断末魔の叫びに、まだ生暖かい血が滴る、うきはの白刃。
ながらの瞳には、無言で、倒れたゆらのもとを去る、悲しげな少年の後姿が、はっきりと映っていた。















その言葉だけが、うれしかった。
その言葉が、支えになった。
でも、使命に生きると誓った俺の、引き金になったのも、その言葉だった。